2020年5月6日水曜日

京浜急行1000形(初代)

 初代1000形は昭和34年に登場しましたが、この前年昭和33年に試作車ともいうべき旧800形が2両固定編成2本作られました。
この車両は当時の最新車であった旧700形(後の2代目600形)を通勤用にアレンジし、3扉としたものでした。
ただ車体幅が1000形量産車より若干狭く、また2両編成を基本とし車体作りがなされていて、扉や窓の割り付けが、1000形量産車とは若干異なっていました。

鉄コレではこの800形を1000形に編入した後の姿で製品化。 
とは言っても見た目は正面2枚窓、前パンと原型に近い姿のものです。
この姿は後に更に改造されて、パンタグラフは列車無線アンテナを取り付ける関係で中間連結側に移設され、正面も都営浅草線乗り入れ時に貫通させる必要が生じたため、貫通扉の付いた、1000形の最終的な顔に付け替えられました。

さて、上でも書いたようにこの旧800形から改造した1000形は若干ですが、車体幅が後の量産車に比べると狭いのですが、
左側が量産車、右側が元旧800形で、模型でも若干狭いように感じます。
1000形量産車は昭和34年から量産が開始され1次車と昭和35年製の2次車48両では4両固定編成で、正面はこの旧800形と同じく非貫通の湘南タイプの2枚窓でした。
ところが、混雑の激化で、都営線乗入れの際に6両以上の編成が必要と考えられるようになり、そのためには非常の際、先頭車同士を連結させた場合、貫通させる必要があることから昭和36年製の車両から正面に貫通扉が取り付けられた姿になりました。
ただ、当初は最終的な1000形の顔とは異なる方向幕等が窓内に収まる形でした。
この顔も昭和39年製から最終的な例の1000形の顔になり、更に初期の貫通車体の車も、正面2枚窓の車も全て同じ顔に改造されていきました。
いまから考えると、旧1000形はかなり変化のある車両だったと言えますね。

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